黄檗東本流

煎茶道 教室 横濱茶館
煎茶道 教室 横浜文化教室
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 煎茶道教室 .

お茶をいかにおいしく淹れて、客茗主共に楽しむか、学んでまいります         .

煎茶道: 煎茶道の歴史:煎茶の伝来

日本における煎茶道の開祖は、江戸時代初期に禅宗の一つである黄檗宗*を開いた隠元隆琦とされています。
*日本三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)の一つで、隠元禅師(1592-1673年)、木庵禅師(1611-1684年)、即非禅師(1616-1671年)など中国の名僧を原点。 京都黄檗山萬福寺は黄檗宗の大本山、元祖中国福建省黄檗山萬福寺は「古黄檗」と呼ばれる(隠元命名)

煎茶自体が当時最新の中国文化であったことなどから、 文人のなかに形式にとらわれずに煎茶を飲みながら清談を交わすいわゆる文人趣味*の中に「煎茶趣味」が上流階級を中心に急速に広まりました。
*文人趣味:文人とはおよそ学問や教養を身につけ、しかもこれによって得た文雅な心意気をその行動に反映させた人物、 琴棊書画(詩・書・画・楽(器)・碁・篆刻など)や文房飾り(文房四宝:筆・墨・硯・紙)の趣を持つ

十八世紀前半、煎茶は大発展をとげました。 精神化の上で売茶翁、書物と教示の上で大枝流芳、煎茶製法の上で永谷宗円、の出現によります。
煎茶道中興の祖と言われるのが売茶翁*、江戸中期、それまで中国文化の模倣の域を出なかった煎茶趣味の世界に独自の精神性・方向性が示され現在の煎茶道が誕生しました。 同時代に大枝流芳*により匙茶道(この時「匙茶道」と言いて伝えた。)の教示と日本最初の煎茶の解説書を執筆(発行は死後)し、普及に尽力を揮いました。 時を同じに、日本独自の煎茶が、中国緑茶製法を改良した青製煎茶製法*が生み出され、京都・大坂を中心に、今日我々の愛飲する今風に近い煎茶が誕生し、以降、広く普及する事となりました。

*売茶翁(1675-1763年):黄檗宗の禅僧であったが、61歳の時に通仙亭を開き、以降独自の理念の実践に入り、68歳にして高遊外と改名する。 煎茶に清談が加わり、文化人の交遊が次第に活発となっていき、多くの文人に影響を与え、後の煎茶道の基礎となる。 人の道、生き方を示し、煎茶道の精神、方向を示した。 当時の禅僧の在り方への反発から真実の禅を実践に、煎茶普及の活動を通じ、その道に傾注したと言われる。 ほぼ同時期、茶の湯では千家茶道中興の祖と言われる本家七代如心斎(1705-1751年)の時期、権威であった茶道が組織改革・町人への普及などがなされた時代で、茶の世界の変革期であった
*大枝流芳(-1755年):主に香道家であり煎茶家。香道書を始め、煎茶・華道・遊戯・文具に関す著書を残す。売茶翁(黄檗宗)からくる精神性を除き、煎茶趣味を日本茶文化とともに独自観点から示す

*青製煎茶製法:永谷宗円(1681-1778)が発明したとされ、日本式煎茶の普及に大きな役割をはたした

文人趣味の自由な時代を経て、煎茶自体(玉露*は江戸後期に日本独自の製法により生み出される。 淹れて飲む茶を広義的にここでは煎茶。)は、江戸時代末期から明治と隆盛の時代が続きました。
大正末期になると、京阪神地方の煎茶家を中心に、高遊会が結成され、煎茶復興の運動が起こります。 煎茶復興はまず売茶翁の顕彰からと、京都・宇治黄檗山萬福寺に「売茶堂」を建立し、 あわせて純煎茶風の茶室「有声軒」が建てられ、昭和3年秋に完成し、昭和4年以後、毎年盛大な煎茶会が開かれるようになりました。
煎茶道諸流派のほとんどは、これ以降昭和時代に興されています。
*玉露:天保6年(1835年)山本山六代嘉兵衛(徳翁)が玉露の栽培・製法を発明、抹茶の碾茶と同様、テアニンとを多く含み、リラックス・集中力を高める効用がある。 本来の製法による玉露は、伝統本玉露と言い、玉露を煎茶道では淹茶と言う

煎茶文化は、時の文人達によって発展し、一般に普及していったもので、茶の湯とともに、伝統文化として、茶道文化として受け継がれてきており、 日本の日常の喫茶の風習にも大きな影響を及ぼしているのものです。
煎茶席(*後段参照)は、開放的で自由な雰囲気の中で、主客が共に大いに楽しむことを大切にし、 煎茶だけではない文人が好んだ趣味、琴棊書画、文房清玩、そして時には普茶料理*や仙酒を楽しむものです。
*普茶料理:江戸時代初期、中国から黄檗宗が伝来し、もたらされた素菜(当時の中国式精進料理)


参考:茶の伝来※西暦年を特に記載し時系列でみる様にした
日本の茶の伝来*は、奈良時代(710–794年)遣唐使より始まり苦菜*より入る。公家と高僧が儀式にて少量飲茶した。
(纏茶
(てんちゃ)という説もある。 考古学上(DNA鑑定も含む)主流は団茶(餅茶)と考えられ、文書上*、種類と時代の具体的記述は以下に記載する通り「苦菜」「引茶*」が記述されている。) 。 中国漢代(前206-220年)の茶道具(但し、薬道具として)も(後年であったも)日本伝来してる事から、漢代の茶の一つ苦菜が伝来してきたと思われる。
*文書:二つの古文書記録上、現在日本茶の伝来期は、奈良時代とされる
①2次資料[茶経詳説(下段「掛物・書」参照)]と同「公事根原(1422年)」にて、天平元年(730年)「行茶*」宮中行事名称があり、 「季御読経」において行茶が「引茶」にて行われた ②『正倉院文書(734-771年)』で「苦菜」と茶を意味する単語がある
*行茶:『本朝聖武帝天平元年召百人僧於内裡而被講般若<日本記元年六月修仁王会于宮中事南留別志>第二日有行茶之儀』から
*苦菜:『味苦寒主五臓邪気厭穀胃痹久服安益気聰察少臥軽身耐老一名荼草一名選』[中国漢代「神農本草経(25-220年頃成立)」引用] 効用から茶とされる(別項「*茶」で示す) 日本で同単語記録が『正倉院文書』に「苦菜」の記述あり、遣唐使より入いる。 神農本草経は、中国最古の本草所(中国後漢代薬物学)
*引茶:日本での名称。「茶経」に存在しない名で、餠茶を「引いた」粉茶
*伝来:正にここでは伝来の茶の意味であり、八世紀以前より日本にも茶自体と飲茶は存在すると考えられている (種:チャノキ[Camellia sinensis]はツバキ科ツバキ属であるが、奈良平安時代に伝来する茶とは異なる別種。 日本自生説・中国渡来説あるが少なくともヤマチャ・ウベチャノキ・徳島チャノキ・岩槻チャノキ・他であって出土品年代測定上、奈良時代以前。)

「茶*」は、紀元前から存在し、薬草が病気を治すものと言う概念であるなら、茶は病気に成らないものという概念から発する。 茶の発祥地は中国雲南省の山地であるとされている。 飲・食に薬があり、飲には水・湯・酒があり、湯に中国で言う湯(日本で言う汁)と飲み物がある。 食に関する書での記載は「食経」「食物本草」中国秦(紀元前778-206年)」より、そこには「不老長生」や「仙人になる枕」の記載あり、また「菜」の記載あり、 養生・栄養・興奮と同じような効用の記載がある。
中国秦・始皇帝より求め続けられた不老不死の薬は正に高望な茶で、皇帝は茶を喫し「病気に成らず若さを保ち力が出て気分が良くなる」欲した。 前段「神農本草経」には茶は薬の概念の記載がある(万能薬)。後段「喫茶養生記*」には養命の記載もある。 日本の茶は、中国で数千年かけて追求された結果のある意味最高峰の形で伝来したと言えよう。 結果、日本は儀式(礼)を持って崇高の扱いを成す事により初まった。 後に薬の概念から文化へと日本独自の哲学的世界「道」への昇華となる。
*茶:『茶』表意文字は、陸羽以前は複数の別な単語で表示されていた(苦菜を示す「荼(とorた)」もその一つ、但し荼は、別な茶も示し共用されていた。)、 その関係、陸羽が創作した文字であるという説もある
*喫茶養生記:上序冒頭;『茶也、末代養生之仙藥、人倫延齢之妙術也』(茶は養生の仙薬なり、延齢の妙術なり)

一般に茶の伝来と喫茶は、平安時代(794-1185年)とされ、日本伝来延暦24年(805年)であり、中国唐代(618-907年)より団茶(餠茶)より伝わる。 平安時代、第一六次(805年)帰便遣唐使、最澄(766-822年)・空海(774-835年)・永忠(743-816年)ら、喫茶を知り茶の種を持ち帰え最澄最初に比叡山麓に植えた。 空海茶臼を持ち帰る。同時に少量の茶本体を持ち帰えったと思われる。 永忠、公式上飲茶最初の記録に登場する。 「上人初めて煎茶(散茶)を作す。これ本朝煮茶の始めなり」散茶を煎茶式(煎じるの意味)、散茶はこれにより試される(茶葉を粉にして固め餅茶の加工工程である)。
「日本後記」と「凌雲集」に最初の記録を待つ、 弘仁六年(815年)「嵯峨天皇、近江国韓崎・梵釈寺行幸、崇福寺大僧都永忠、手づから茶を煎じ奉御す。」とある[日本後記]。 茶についての記載は、前年五年に『香茗*を搗く*』嵯峨天皇歌うもある[凌雲集]。(*香茗:茗は茶の旧称。*搗く:茶の加工工程。)

抹茶は、末茶(抹茶)式が渡宋した明菴栄西(1141-1215年)により、禅宗とともに、茶の苗木を持ち帰り、伝来される、建久2年(1191年)である。 華厳宗栂尾山高山寺の仏僧、明慧上人(1173-1232年)、栄西から茶の種子を「漢柿蔕茶入」とともに貰い受け、京都栂尾に植える(この地の茶は後に(闘茶における)本茶の地位を占めた)。 栄西「喫茶養生記」著述し日本の茶のバイブルとなる (栄西自身も数か所に植え、茶の栽培を成し、自ら喫茶する。現在の抹茶は碾茶からであるが、当時は別種である。)。
喫茶法は、団茶式(餠茶:粉茶を練り餅にし保存移動しそれを搗いて粉にする。)の進化である、宋代の研膏(研って粉)式(抹茶法)の伝来、唐の茶文化の継承、 奈良平安貴族(遣唐使派遣時)時代、日本で既に渡り貴重品と扱われていた唐(一部、中国漢代の物を含む)の茶道具の継承、遣唐使以降の盛んな日宋貿易、 以上から抹茶が流行し、それは後の茶道とし日本独自文化と進化していく。
*中国茶書:唐代「茶経(760年頃)」が觕茶、散茶、末茶、餠茶と「中以湯沃馬謂之淹茶(湯を沃ぐこれ淹茶という)」の種類、茶式は「五茶之煮」煮茶中心であり、 宋代「大観茶論(1107年)」が抹茶中心の記載である。
注:えん。淹は異字、療に似る文字。疒に淹のサンズイ無し

煎茶は、中国においては、中国唐代に散茶(葉茶)と淹茶、 中国宋代(960-1279年)に淹茶(茶葉と湯を急須)式が生まれ、明代(1368-1644年)釜炒煎茶製法により流行る (釜炒りは、現在の中国緑茶の製法に同じ)。 日本における伝来の煎茶は、宋代散茶(茶葉)式である。
長崎より唐人(商人)より散茶と煎茶式喫茶法が入り、町人含めて喫茶が始まる。 京都、隠元など禅僧より散茶と煎茶式喫茶法と中国文人趣味(悟りを成した禅僧、仙人が茶を喫茶し公案(禅問答)する、煎茶図の姿)が入る。 (淹れる茶の意味の)煎茶が日本文化になるには、売茶翁の時代まで待つ必要がある。日本茶文化との融合、茶の湯に無い部分(優雅貴族文化)の憧れ、 そこに日本独自の文人趣味への昇華がある。

茶道が[陸羽=>栄西=>珠光=>紹鴎=>利休]に対して、煎茶道は[陸羽=>栄西=>隠元=>売茶翁]と繋がる。

煎茶道具:現在の煎茶道具は、中国清代(1636-1912)好みの道具である(小振りであり、宋・明の好みとは異なる)。 茶道具伝来期と異なり(禅僧伝来もあるが)主に商人による。17世紀、京都は、黄檗宗周辺と公家のみであるが、長崎は(貿易窓口の関係)多く持ち込まれ、日常煎茶飲茶に使用されていた。 18世紀、中国煎茶趣味(道具と共に)が持てはやされていく。煎茶道では、錫を格上にする、これは鎌倉時代に渡ってきた茶道具に錫材質が多くあり、その名残りと思われる。

歌・書: 陸羽(733-804)」:『茶経』(世界最初の茶書)、栄西;『喫茶養生記』(日本最初の茶書)、明恵;茶之十徳(次段参照)、廬仝(-835年);七椀之句(後年一般に煎茶歌と言われる)、 蘇軾(1037-1101);試院煎茶、大枝流芳);『清湾茶話』(日本最初の煎茶書1756年)

[文責:乾實道]
掛物 木庵禅師 木庵性瑫 即非禅師 即非如一
茶之十徳
諸仏加護 五臓調和 孝養父母 煩悩消滅 寿命長遠 睡眠自除 延命息災 天心随心 諸天加護 臨終不乱
隠元禅師 隠元隆琦
隠元禅師筆「
黄檗山満福寺初代官長
黄檗宗開祖

木庵禅師筆「
黄檗山満福寺二代官長
即非禅師筆
黄檗山満福寺準世代
即非如一

明恵上人文
茶の十徳
諸仏加護 五臓調和 孝養父母 煩悩消滅
寿命長遠 睡眠自除 延命息災 天心随心
諸天加護 臨終不乱

三禅師の筆を「黄檗三筆」と称し、その書は大変珍重されています。[所蔵:横濱茶館(R)横浜文化教室]
 
茶径
茶径詳説
喫茶養生記 清湾茶話,煎茶仕用集 煎茶早指南 木石居煎茶訣 圓山勝会図録
雲烟供養図録
青湾茶会図録
昌隆社記念茗讌図録
(後日撮影)
『喫茶養生記』
栄西
『清湾茶話』
大枝流芳
『煎茶早指南』
嵐翠子
『木石居煎茶訣』
深田靖一
『茶経』陸羽
『茶経詳説』
大典禅師
   
『青湾茶会図録』
『圓山勝会図録』
『雲烟供養図録』
『昌隆社記念茗讌図録』

全3冊:文久3年
全3冊:明治9年
全4冊:明治13年
全2冊:大正15年

 
 『煎茶式』
大塚杉陰
760年頃中国唐代
[書:全3冊:2000年:中国
華賓斎古籍書社刊]


[書:全2冊:
安永3年版後刷:
平安書舗]

建暦1 初治本
建保2 再治本
 
宝暦6 初刊
再版以降は
『煎茶仕用集』
 
享和2年初刊
嘉永2年初刊
明治42年 
[書:昭和54年:
鎌倉同人会刊
]
[書:享和2年
:大阪書林]
[書:享和2年序刊
:永楽屋]
[書:明治37年刊
:文光堂]
 

教室案内

概要

・一日一回は、手前指導いたします
茶室にて行います。
・ご自分のペースで学習できます
・服装は、普通着(洋服でも仕事着でもOK!)または着物でも自由です
・希望者は、入門・許状・看板・教授資格が習得可能です

教室内容

対象者:18歳以上
回数:月2回(第1,3水曜日)
曜日・日時:水曜日 (午前の部(10:00-12:00)、夜の部(18:00-21:00)開講
 ※後方への時間変更可能

入会金:5,000円
月謝: 2回:4,000円/月 ※水屋料と共にお納めください
      ※個人レッスン希望者3,000円/1回(水曜日以外の時間は予約制)
      ※茶道教室と両方通われる場合は、月1回:2000円 も可
水屋代: 1,000円/回  ※毎月月初に月謝と共にお納めください※茶菓子代含む
     (学生(大学生以下30才未満)の方は水屋料免除)
年会費:
10,000円(入会後6ヶ月以上の者、年最初の稽古時。半年未満の方は半額)
その他の費用:
※必須は三溪園茶会のみ
      横浜文化教室後援三溪園春季茶会参加費
      希望者は入門料、申請時許状申請料(許状習得希望者限る)
      流派公式茶会(年2回)茶券(参加希望者限る)
      ※御中元・御歳暮 現金謝礼不要(受け取りません)
持参する物:懐紙、菓子揚子、白足袋(白靴下)
        
袱紗、扇子(両2点は、流派指定のものがあります。入会後3ヶ月目安に購入(計8,500円位)ください)
         (初期は必要ございません。)
その他:ご不明な点は、お問い合わせください。詳細は、体験時並びに初回に説明いたします

講師

教授 乾實道 (平成16年師範、平成20年教授、平成22年家元直門有声会1組一班)    
※男性 易松庵茶室    
  教授 乾實道 (c)なぎさ     煎茶道 (c)なぎさ

許状
 入門、初伝、中伝、上伝、奥伝、師範、庵号、皆伝、教授と進んで参ります。
 ※許状により、煎茶式手前号式範囲が異なります。   

場所

神奈川県横浜市中区若葉町三丁目
午前の部:夜の部: 中区、関内 横濱茶館 易松庵

体験・見学

 ・まず「体験」をされた後に通われますか判断ください。体験による入会義務は一切ございません。
 ・料金2,000円
 ・煎茶道とは、どういうものか?教室の雰囲気は?検討の際お勧めいたします。
 ・点前の客としてお入り頂き、煎茶道と教室の雰囲気をご体験ください
 ・見学時、ご持参するものは不要です。
  (既に煎茶道或いは茶道経験ある方に限り、懐紙・菓子楊子・扇子はお持ちください)。
 ・見学は、予約(日時相談)
 ・一度に体験可能人数は、2名迄です。

 ご案内
 ・観光目的、煎茶席体験、茶室煎茶喫茶ご希望の方は、別に茶室喫茶がございます。
 ・煎茶教室(稽古場)と異なりますが、教室で習い事する事なく、
  煎茶会の席での客作法をお知りになりたい方(客作法)は、客作法体験 もございます
 ・流派入門する事なく、短期(4回)煎茶道講座(体験)もございます。詳細は、お問い合わせください。

流派 黄檗東本流 煎茶道
おうばくひがしほんりゅう せんちゃどう

淹茶(玉露)、煎茶、水茶、焙茶、香仙、仙酒、烏龍茶、紅茶や聞香、ほかにそれぞれ煎法があります
茗主椀を含めて、茗主も共に茶を喫し楽しむ文人の嗜みであります
五節句*の行事を有します
煎茶道諸流派で、煎茶道本山「黄檗山万福寺奥印」を許状に認められる数少ない流派です


*家元: 小林代鶴
*五節句: 人日(1月7日)七草の節句、上巳(3月3日)桃の節句・雛祭、端午(5月5日)菖蒲の節句、七夕(7月7日)笹の節句、重陽(9月9日)菊の節句を言い、伝統的な年中行事を行う季節*の節目。
*季節: 初代家元小林鶴堂は、春の花、夏は土橋を駆ける夕立、秋は時雨、湖上の望月、紅葉もよりどりに冬は亦冬ざれや、冴ゆる寒月と風雅の便り肌に感じられんもの、とも述べた。 [「茶の湯案内(15)主婦の友社編 煎茶入門」主婦の友社 抜粋]
*流派公式茶会:毎年年2回 5月5日家元主催春季茶会:東京護国寺(及び秋季茶会あり)
*点前:玉露はその性質上、低温で淹れた最初の一煎が本来の味と香りである。煎茶も然りである。 当流では、一部の煎法を除き、一煎出し二煎点前である


本部:東京都文京区

全日本煎茶道協会 「黄檗東本流」  (C)社団法人全日本煎茶道協会
 ・第59回全国煎茶道大会 平成26年初日5月17日献茶式担当

大本山黄檗山萬福寺[公式HP]  中国黄檗山万福寺(古黄檗)[中国福建省福州府]


煎茶会

煎茶会は、書幅、絵画幅、、瓶花、南宗盛物などを陳列した展覧席と 茶席(淹茶、煎茶、焙茶、烏龍茶、紅茶、香煎)、 仙酒席(飯をつける場合もある)のいわゆる三店を設ける構成をとっています。
茶席は、六、八、十畳など広間が基本で、床、脇床(或いは琵琶床)、書院(文房飾り等)付き広間です。 (注:小間で淹れる場合や書院飾りする場合もございます。)
庭側の襖は全開にし(渡り廊下越しになる場合もある)庭の景色を観ながら茶を楽しみ、 (茶道は閉ざさらた空間で無限を表すが文人好みの煎茶道は)空間を開放する、と言う意味を持ちます。

 盛り物
平成23年度護国寺黄檗東本流
秋季茶会展観席[作:乾實道]
 
参考:
歴史上、煎茶の席を中心とする催しに、二つの大きな行き方がありました。
一つは、「雅筵」と称させられるもので、文人風な好みの煎茶会です。
一つは、上記に挙げた「大寄茶会」で流派による煎茶方式を主とした煎茶会で、
前者に対しては単に「茶会」といいます。
どちらにおいても通常催す時は、「煎茶会」と称します。
*雅筵; 前席(展覧席[書画/盛り物]]・仙酒席)、本席(煎茶席、淹席)のほかに、待合室、文具席、揮毫室、清楽室など、そのときの催しの趣旨に従って、併設されるのが通例となっている、総合的な雅筵の催しです。 現在では(前席と本席の組み合わせ以外は)あまり行われておりません。

[文責:乾實道]
 
脇床・違棚   文房飾り   文房飾り   琴棊書画 文人飾り
脇床・違い棚    書院・文房飾り     琴棊書画(文人飾り)

お問い合わせ・お申し込み

1.お申し込み: 煎茶道教室 ※ケイコとマナブサイト
2.お問い合せ: 横濱茶館横浜文化教室(電話又はメール)まで
3.随時募集をしておりますので、お好きな月から開始できます。
4.体験のみのお問い合わせもご遠慮なくお問い合わせください。(メール問い合わせの方が望ましい)
5.横濱茶館喫茶室では、一煎から始まる煎茶喫茶もございます。


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