[闘茶とは] [歴史] [遍歴] [衰退と変貌] [懸け物] [闘茶禁令] [闘茶の始まり] [中国の闘茶]
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【闘茶体験】横濱茶館(R)横浜文化教室
闘茶・鬪茶・斗茶・茶歌舞伎・茶カブキ・茶寄合・茶香服・闘茶式・闘茶之会・銘闘・茗戦・回茶・七所勝負
順事茶・巡立茶(巡茶)・競茶・茶合・林間茶湯・茶博奕・ポンピ・寄せ茶・お茶講・茶王戦・茶試・Tea Fight
・太平記第三十三巻
※異国本朝ノ重宝ヲ集メ、
※茶ノ懸物ニ百物、百ノ外ニまた前引ノ置物ヲシケルニ、
初度ノ頭人ハ、奥染物各百充六十三人ガ前ニ積ム。
※第二ノ頭人ハ色々小紬十重ヅツ置ク
※第三ノ頭人ハ沈ノホタ両度ヅツニ、麝香ノ臍三ヅツ副テ置く。
※第四ノ頭人ハ只今威シ立ヌル鎧一縮ニ、海花懸タル白太刀・金作ノ刀ニ
各虎皮ノ烽袋ヲサゲテ、一様ニコソ引キタリケレ。
※以後、頭人廿余人、我レ人ニ増ラムト、様ヲ替、数ヲ副テ山ノ如クニ積重ヌ。
・太平記第三十六巻
※七百種ノ懸物ヲ積ミテ
・太平記第三十九巻
※懸物如山積上タリ
・「師守記」「祇園執行日記」
※香炉・香筥・硯・紙・扇子・陶磁器・包丁・火箸・蝋燭、足袋、銭
※其ノ費、幾千万ゾ
・「看聞御記」
舟一艘、銀貨、茶碗、呉器、壷、弓、箭(矢)、金仙花、鵝目(穴あき銭)
建武式目條々
全部で十七條からなり、建武三年(1336年)11月7日成った。
なので、建武三年に禁令が公布されたという解説は、
実態は足利幕府の憲法(に該当する基本法)が公布され、その中に闘茶に
言及があったである。ただ、即効性は無く、
足利将軍自ら含め厳守するものが少なし、とも当時の状況がある。
闘茶はこれももって無くなる事は無く、最盛期を迎えるにいたる。
なお、「闘茶」という単語は当時はなく、
「博弈」「茶寄合」で示し、「群飲佚遊を制せらる可き事」の一文で禁止を示す。
原文;
日本
闘茶は、「方法や会の構成から日本独特の遊びと考えて良い。
鎌倉末期に至り、各地で製茶業が展開し、それに伴って茶の品質に
差が生じた。(中略)。本非の味を飲み分けるゲームが始まった。
その記録は、
『光厳天皇宸記』正慶元年(1332)6月5日条の「飲茶勝負」が初見
で、廷臣たちが茶の同異を知る遊びであったことがわかる。
その数年前に無礼講の「飲茶会」があったことが『花園院宸記』
元享四年(1324)10月朔日条にあり、おそらくこれも闘茶会で
あったろう。」
『国史大辞典』からの引用
栄西禅師(永治元年4月20日(1141年5月27日)-建保3年6月5日(1215年7月2日))
が茶の木を「高山 宇治 黄檗」埋めた。
明恵上人(承安3年1月8日-寛喜4年1月19日(1173年2月21日 - 1232年2月11日))
が「栂尾 宇治 仁和寺 醍醐」で栽培を開始した。
東福寺十五世の虎関師錬(1278~1346)室町初期の作「異制庭訓往来」より、
「栂尾[本茶該当] 仁和寺・醍醐・宇治・葉室・般若寺・神尾寺[非茶 該当]
大和室尾(室生)・伊賀八鳥(服部)・伊勢河居・駿河清見・武蔵河越 [もあった]」
なお、後年「栂尾」と「宇治」が本茶扱いと成る。
主に唐物と呼ばれる、道具類。茶入(大海や大振りのものが好んで使われたと思われる。)。
主な所で茶碗は天目台の上に天目茶碗。茶筅は、「茶径」に記載されている坐副師。
その他、「茶径」が記載されている道具類が使われたと思われる。
闘茶初期と後期(以上特権階級)と庶民ホンピでは、方法が異なるが次の様に変化していったと思われウ。
初期: 五ツ頭の式方 ※今も存在する
後期: 真台子にようる式方
真ノ台子点前の原型の可能性ある(憶測です。)
黒真塗の台子その上に、唐物台天目袋付茶碗、唐物長盆を乗せ袋付棗型10個(試しは3種で茶入型、長盆事入れ替え)
江戸後期から明治期:
別なページにて解説する。本ページは、南北朝・室町時代の闘茶に関して説明をする。
中国の闘茶図は前述した通りであるが、日本でそれらしき絵が次がある。
「源氏物語図屏風 伝土佐光芳筆 江戸時代 石山寺所蔵」
に11人の公家が釜を囲み茶壷二つと闘茶札と湯斗が描かれている遊戯図がある。
初期から現代まで時代と共に変化し、また多様化(及びローカルルールもあり。)している。
前期 五ツ頭 本非二服、本非十服
貴人の遊戯賭博乱痴気騒・本茶の優位より変化・道具自慢
最盛期 書院の茶、有試四種十服・百種茶・他
※儀式での点前、唐代での茶之道具
※式法の確立、贅沢な茶
江戸・明治 煎茶使用
※抹茶から煎茶へ移行
ここでは、最盛期の闘茶の流れを説明する。
佐々木道誉によるもので、太平記にその記載がある。
書院茶室をつくる(これが現代の茶室の原型である。)
第1の部屋
最初の部屋に唐物の飾りや懸け物の飾りですが、
CGや絵で示す事をお勧め。道具復元を豪華に並べるのは
難儀かと心配
第2の部屋 宴会
本膳(後述)と酒と踊りと寳樂
第3の部屋 闘茶会
書院の茶時代の点前手順(一部記録が現存している。)
室町時代に形式が成立したもの
現在の、茶懐石(一汁三菜中心)、会席(料亭などでの料理)の原型
式三献※酒礼 次に 七五三膳※饗膳 次に 酒宴 の3部構成
式三献: 引渡膳、雑煮膳、吸物膳
七五三膳(7つの膳、同膳に盛られている菜が7・5・3となっている。)
道誉の闘茶会(「太平記」より)は、
十番膳まであり、百種もの点心からなる、とあります
この十番膳が上記の3+7膳。
詳細は、「懐石の研究」「日本料理文化史」に詳しい
詳細 「闘茶登録商標無効審判事件」